乳がんになってスピリチュアリズムに出会うvol.3

シルバーバーチの霊訓を人生の指針としています。

2021.2.26

我らは極めて単純な健康の秘訣を伝授したいと思います。

それは「感謝をもって生きること」これです。

もし心が、生きることすべてに感謝で高鳴っていたら、その人の核心より光明が輝き出て、人生が光り輝きます。

 

感謝をもって生きることができたら、不足に思う心も出てこない。

ついつい、当たり前の日常に慣れすぎて、すぐに感謝することを忘れてしまう。

いつも謙虚で、愛をもって。

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2021.2.19

日常の行為のすべてを律し、全生命の始原である大霊を顕現させることができるように導くものなのです。

 

霊的真理の重要性を理解している人たちが一致団結して、物質界に立ち込めている無知の霧を晴らすためにその力を使用すれば、どれほど大きな仕事ができることでしょうか。

 

善意と救済と奉仕の勢力は常にあなたの味方であることを自覚して、自信を持って前進してください。

 

霊的資質と人格は違う。

霊的真理を学んでいるので、霊的資質は少しはある。霊的資質は芽生えている。

霊的真理を学びながら、日常生活で少しでも霊性を上げれるようにする。

日常生活をいかに生きるか。

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2021.2.12

永続性のある実在は霊のみです。もしも私たちの尽力によって人間を霊的本性を自覚させることに成功すれば、その人の人生は一変します。生きる目的に目覚めます。自分と言う存在の拠って来る原因を知ります。

これから辿る運命を見極め、授かった霊的知識の意味をわきまえた生活を送るようになります。いたって簡単なことなのですが、それが私たちの活動の背後に目論まれた計画です。

   霊的真理は、これを日常生活に活用すれば不安や悩み、不和、憎しみ、病気、利己主義、うぬぼれ等々を追い払い、地上に本物の霊的同胞精神に基づく平和を確立することでしょう。

 

霊的真理に気づき、魂が目覚め、生きる目的がわかる。これほど幸せなことはない。

シルバーバーチの霊訓を学んでいる人は謙虚になるという。摂理がわかるから余計に。

 

わがままがないように、道を逸れないように。

妨害されないように、道を固めていかないといけない。

 

周りの人に対して、相手の物差しでも、物事をとらえれるように。真心をもって。

 

毎回勉強会では、大切なことに気づかさせていただけ、ほんとありがたいです。

 

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2021.2.5

吾々は受信局であり発信局であることを、ご承知願いたい。

 

吾々は目に見えぬ世界からの影響や印象に反応できると同様、また、此の世の影響や他者の思想や生活から出る波動にも反応するのである。

 

精神が健康でなくして、どうして健康な肉体をもち得ようか。

 

常に健康な考え方をなされよ。

建設的で楽天的にものを考えるようになされよ。と申しても、愚者の楽天主義ではない。

もの事を明るく、自身を持って考えるということ、つまり、地上生活の混沌の裏には、聖なる目的があるといくこと、また人間の霊性の進化が進められつつあるということ、これを承知の上の楽天主義であれ。

一切が善に向かって動いている。

何事が起ころうとその背後には常に善が存在する。

 

すべてが善に向かって動いている。

この霊的真理を知っているということが、カギになる。

聖なる目的があるということ。

このことを知らずして、霊性進化の道は開けない。

どんなことも霊性進化につながる。

 

経験することで、心が深くなっていく。

 

日常生活で、不安をなくし、取り越し苦労をしないで、いつでも、落ち着いて物事をなす。

 

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2021.2.4

平静さが必要です。いかなる事態に遭遇しても、心を平静に保てるようになれば、その無尽蔵のエネルギーが湧き出てきます。それは霊的なものですから、あなたが直面するいかなる困難、いかなる問題をも克服することができます。

 

困難なことを経験することで、平静さを身につけることができる。過去の経験は全て善に向かう。経験は必要である。

 

 

真理を悟った人は決して取り越し苦労はしません。なぜなら、人生には大霊の計画が行きわたっていることを知っているからです。まじめで、正直で、慈悲心に富み、とても無欲の人でありながら、人生の意義と目的を悟るほどの霊的資質を身につけていない人がいます。無用の心配をするという、そのことが、霊的成長の欠如の指標であると言えます。たとえわずかでも心配の念を抱くということは、まだ魂が本当の確信を持つに至っていないことを意味するからです。確信があれば心配の念は出てこないでしょう。

 

慈悲心に富んでいないし、無欲の人でも無い。

困難な経験によって霊的真理をつかめた。今はまだ霊的真理の入り口にいるにすぎない。

 

人生には大霊の計画が行きわたっているので、無用の心配をしない。取り越し苦労をしない。

 

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2021.1.29

種子を蒔けば芽が出る。

この、いつの時代にも、変わらない摂理こそ、大霊の働きの典型です。

大霊は絶対にしくじったことはありません。

 

コロナ禍で、大変な時代になったと思うけれど、これも摂理の働きのひとつ。

 

あなた方もいつかはこちらの世界へ来られるわけですが、来てみれば、感謝なさるのはそういう辛い体験の方なのです。

視点が変わることによって、暗く思えた体験こそ、そのさ中にある時は有り難く思えなかったけれども、霊の成長を一番促進してくれていることを知るからです。

 

いかなる体験も魂の成長にとって役に立つ。

 

 

正しい生き方をしていなければ、当然、心配は絶えないものと覚悟しているわけです。

 

心配になるということは、正しい生き方をしていないということ。ドキッとするけれど、全てのことを完璧にこなせるわけではない。

未熟であるために、この地上で生きている。魂が勉強する場合で、失敗もし、何かを学んでいく。ゆっくりゆっくり成長していく。

 

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節分草